概要 0%
物語は次元宇宙の中の無数にある宇宙のうち、とある4次元宇宙のひとつで展開する。この4次元宇宙は、実数領域と虚数領域という、二つの世界から成り立っている。
実数領域とは肉体や物質など目に見えるもので構成された形のある世界、虚数領域とは虚数の時間軸を流れる特殊な世界で、肉体や物体に宿る意識(心)という目に見えないもので構成された、形のない世界である。
"Xenogears"および"Xenosaga"の超個人的見解入りまくり二次創作的考察
Xenosaga
世界観
上位領域と下位領域
ゾハル(扉)
下位領域の監視と管理
虚数領域と実数領域
集合的無意識とU.M.N.
散逸する意識とグノーシス
グノーシス遭遇事故
事象変移
事象変移で見られる現象
事象変移補足
グノーシスとの接触
レアリエンとグノーシス
グノーシスの分類他
グノーシスとゾハル
宇宙の崩壊
アニマとアニムスおよび
宇宙保護システム
アニマ総論
アニマの覚醒
アニマの反応者
散逸の力
アニムス総論
アニムスの覚醒
マリアと巫女
アニムス(マリア)の復活
物語は次元宇宙の中の無数にある宇宙のうち、とある4次元宇宙のひとつで展開する。この4次元宇宙は、実数領域と虚数領域という、二つの世界から成り立っている。
実数領域とは肉体や物質など目に見えるもので構成された形のある世界、虚数領域とは虚数の時間軸を流れる特殊な世界で、肉体や物体に宿る意識(心)という目に見えないもので構成された、形のない世界である。
4次元宇宙に存在するすべての肉体や物質(人、動物、植物、車、惑星等)には意識があり、肉体や物質は実数領域に存在し、その意識は虚数領域に存在する。つまり「個」を持つあらゆる物体は実数領域と虚数領域にまたがって存在しており、虚数領域と実数領域は常に表裏一体で接している。
ただし例外もあり、ゾハルだけはエミュレーターも含め、実数領域と虚数領域のどちらにも「ゾハル」として存在する。つまりこれらには意識がなく、純粋な意味で「両領域にまたがって存在している」物体である。
なお原則として、実数領域側の存在が虚数領域を知覚したり操作することはできない。虚数領域は目に見えない意識で構成されており、実数領域の物理法則が通用しないからだ。我々がいくら日常的にインターネットを使っていても、ネットワーク内を交錯する情報を専用機器なしでは視覚的に捉えられないのと同じである。
だが虚数領域側に存在する者であれば、実数領域で個として存在している物質の意識に直接触れられるので、実数領域の物質に様々な形で干渉できる(ex.テスタメントやケイオス)。また作中に登場したT-elosのように、実数領域側に存在しながら虚数領域側から様々な物質の意識にアクセスできるチートシステムも開発されている。
集合的無意識では、すべての意識・無意識が剥き出しの状態で接している。このため互いの意志や感情や記憶がダイレクトに伝わるし、隠しておきたい本音等も駄々漏れになる。ただし生きている間は集合的無意識内でも「個」を保っていられるので、駄々漏れにはならない。だがこれは隔絶されている訳ではなく、他者の意識に触れられないというだけなので、生きている者同士ならば駄々漏れにならないが、虚数領域側に存在する者(死者の意識など)から見れば駄々漏れである*。
通常生きている人間は虚数領域の存在を知らないため、自分たちの意識が集合的無意識内に存在することはもちろん、集合的無意識において自分たちの意識が無防備に晒された状態であることも知らない。
また集合的無意識は、厳密な意味では「死んだ者たち=物質と対応していない意識」だけで構成されている。生きている者の意識や独立した特殊な意識(後述)は、ラーメンのスープに浮かぶ油滴のように、集合的無意識(スープ)を構成する要素でありながら分離した状態で存在している。
*ウ・ドゥだけでなく、死亡して意識のみの存在となったアンドリューやヨアキム、ネピリム、テスタメントなどは、シオンの心の中(記憶や父親に対する怒り等)を読み取った上で、彼女に語りかけてきた。つまり「誰にも話したことないのになんで知ってるの!?」状態なわけで、パニックに陥るのは当然といえば当然だろう。
虚数領域の意識体であるケイオスも仲間の心を読めるが、それを口に出すと人間関係が壊れてしまうので必要時以外は心を読まないし、心を読めることも隠している。
集合的無意識は、実数領域に生まれるすべての物質(生命体や惑星、機械など)への意識の供給源でもある。物質と対応した意識は、物質が生命や形を保っている間(生きている間)であれば、集合的無意識内で明確な「個」として存在できる。だが物質が死んだり壊れたりして消滅すると再び集合的無意識へと溶け込み、別の意識へと再構成される。
再構成された意識は、いずれ誕生する別の生命や物質に供給される。再構成された意識はまったく新しい意識となり、生前の記憶はほぼ確実になくなるが*、マリアやシオンは通常の意識とは異なる超意識のため、記憶が保持される。また後述するアニマ反応者の意識も、記憶が残る可能性が高い。
この意識のリサイクルが正常に機能していれば、集合的無意識に含まれる意識の数は常に一定に保たれるので、増減することはない。
*わずかに記憶が残る場合もあるが、せいぜい既視感程度のものであり、またその記憶を意図的に再生することはまず不可能である。
実数領域側の人間が虚数領域を知覚することは物理的に不可能だが、劇中では日常的に虚数領域≒集合的無意識へのアクセスが行われている。これは集合的無意識を、この世界を支える巨大な情報ネットワーク兼データベースとして利用しているからである。集合的無意識≒虚数領域には時間的・距離的な制約がないので、星団間の超長距離ネットワークインフラとしては最適だった。これにアクセスする手段として開発されたのが「U.M.N."Unus Mundus Network"」である。表向きはロストエルサレム消失後、ヴェクター(ヴィルヘルム)によって開発されたことになっているが、作中の世界では詳細は公表されていない。だからスキエンティアが胡散臭がったのである。
U.M.N.は実数領域と虚数領域≒集合的無意識の境界に構築されている、言うなれば集合的無意識の表面(そういう概念があるかは不明だが)に開けられた無数の覗き窓のようなものである。集合的無意識の解説で用いた喩えで言うと、柔らかい容れ物(虚数領域)と風船(集合的無意識)の間にある隙間に構築されており、境界というより虚数領域にあると考えて構わない。この隙間を本考察では便宜上「虚数領域の最外殻」と呼ぶ。
U.M.N.を利用すれば、集合的無意識の一部を垣間見ることはできるが、全体を把握することはできない。また、U.M.N.が集合的無意識にアクセスする手段であることは一般社会には秘匿されているので、大半の人々は覗き窓から見える様々なデータが、集合的無意識を形成する意識の一部だとは気付いていない。それ以前に、虚数領域や集合的無意識が存在することすら知らない。
存命中に集合体無意識の存在に気付いた人間は、ヨアキム・ミズラヒ博士ただ一人である。だが彼は自分が発見した巨大な意識プールとU.M.N.を同一視していた節がある(Ep.3のM.O.M.O.との会話など)。さすがの歴史的超大天才も、意識プールが集合体無意識という虚数領域の屋台骨であり、さらにU.M.N.はそこにアクセスする手段に過ぎないことまでは気付かなかったようだ。
U.M.N.の最も一般的な利用法は「転送」である。専用端末を用いて覗き窓からデータや荷物、武器、燃料などを集合的無意識に放り込み、別の覗き窓から取り出すのだ。ただし人間を始めとする高度な精神活動を行う生命体を転送する場合は、集合的無意識内にチューブ状の実数領域を構築した「ハイパースペース」と呼ばれるネットワークを利用する。
これもU.M.N.の一種で、おもに宇宙船の空間跳躍に用いられる。この中を移動することで、人々は物理法則の異なる虚数領域内を安全に移動できる。
U.M.N.を介した空間跳躍のことを、作中世界ではゲートジャンプと呼んでいる。
ハイパースペースにアクセスする専用端末は「転移コラム」と呼ばれている。この端末は後設されたもので、もとから実数領域のあちこちに存在していた綻び=虚数領域への抜け穴を、アクセスポイントとして利用しただけである。
つまり、ハイパースペースはもとから集合的無意識内に存在していた可能性がある。
U.M.N.を利用すれば、何も知らない一般人でも集合的無意識内の他者の意識にアクセスできる。代表的なものが、U.M.N.(と一般人は思ってるけど実は集合的無意識)内に構築された仮想空間「エンセフェロン」である。
集合的無意識を構成する意識(人間のものとは限らないし、死者のものとも限らない)が持つ記憶や経験、感情、意思などは、表向きは「U.M.N.内に保存されたデータ」として扱われている。この中から必要なデータを呼び出し、U.M.N.を介して再構成することで、目的とする過去を集合的無意識内に再現した仮想空間がエンセフェロンである。
エンセフェロンにアクセスすれば、自分自身や赤の他人が経験した過去を追体験することが可能であり、また選択するデータとその構築方法によっては、過去だけでなく、現実には存在しないファンタジックな空間も生み出せる。
なぜ記憶や感情をデータ化できるのかというと、集合的無意識では意識が「波動」という形で存在しているからだ。この意識波動は、意志が強ければ強いほど強くなる。
しかしこの波動が、物理的な意味での波動であるとは考えにくい。U.M.N.を介すると波動のように見えるだけなのかもしれないが、そもそも時間的空間的概念の存在しない集合的無意識に、時間的空間的要素を持つ波動が存在するはずはないからである。
当サイトのテーマはあくまでもゼノシリーズの二次創作的考察であり、ゼノ世界を現実世界と同一視することを目的としてはいないため、この辺の矛盾は適当に流している。ゼノ的波動(意識波動や観測用波動等)は「波動のような動態をとるなにか」だと考えて頂けるとありがたい。つまり考えるんじゃない、感じろ!
集合的無意識内の意識、つまり意識波動をU.M.N.(と一般人は思ってるけど実は集合的無意識)に保存された波形データとして扱うことで、エンセフェロンを始めとする様々な技術に、これらの意識を活用することが可能となった。だがこれらのデータが意識そのものであることを理解しているのは、ごく一部の者たちだけである。代表的なのが、天才脳物理学者ヨアキムと、ヴェクターの若き天才ケビンである。
ヨアキムとケビンは、それぞれサクラとマリアの意識を集合的無意識から回収している。彼らはU.M.N.経由で観測される波動が人々や物質の意識であると知っていたので、波形や波高などを検索して目的とする人物の意識波動を特定し、意識のモニタリングや回収を行った。
またヨアキムは、娘の存命中から彼女の意識をモニタリングしていたが、その意識波動の波形が死後変化していく様を目の当たりにしたことで、娘の意識が新たな意識に生まれ変わったと気付いた。
ケビンがマリアの意識の変容に気付いたのも同じ理由である。彼はヴィルヘルムから提供されたアニムスの波形データを持っていたか、テスタメントという虚数領域側の存在になったことで、マリアの意識を直に観察できたのだと思われる。
人間の意識波動の一部は、その人物の脳波と同じ波形を示すという設定なので*(他の生物や物質の波形に関しては不明)、脳波の波形データさえあればU.M.N.を介して集合的無意識からデータと一致する波形を検索し、目的とする人物(監視やストーキングの対象)の意識波動を追跡できる。
また存命中に脳波の波形データを記録しておくことで、その人物の死後に波形データを用いて意識波動を探し出し、死者本人と仮想空間で会うことも理論上は可能である。ただしこの場合、死後に意識波動が「厳密な意味での(死者の意識で構成された)集合的無意識」に合一するなどして意識波動が再構成されると、波形が変わってしまうために検索できなくなる(他人の記憶から再構成された人物と会うことはできる)。
こうした特定の人物を対象とした意識波動の検索は、非常に高度な技術を要するため、ヨアキムら限られた者にしか行えない。一般的には不特定多数の意識波動のごく一部だけを、U.M.N.に蓄積された膨大な波形データとして利用する程度である。これらのデータは、主にエンセフェロンを構築する際のロケーション情報として用いられる。
*実際の脳波は心電図と同じようなもので、複数の電極を用いて測定される。一電極あたり一つの波形を記録し、各電極から得られた同時系列の複数の波形をまとめて「脳波」と呼ぶのである。波形は電極を付けた部位によって大きく異なり、また行動や感情などで常に複雑に変化する。そのため脳波を声紋のように用いて個人を特定することは、現実ではほぼ不可能である。